アイルランド/選択の自由

二日前、帰省中の友人と久しぶりに会ってお茶をした。

帰省中、というか帰国中。彼女は今アイルランドに住んでいる。アイルランドは五年の在住で永住権が認められるそうで、目下それを目指して居座っているとのこと。

彼女はどちらかといえば、少しおどおどした雰囲気のある子で、自分の意見がないわけではないけれど、対外的にそれを大きく主張できるタイプではない。出会った一〇年前から今日までその印象は変わらなくて、だから彼女が海外に住むなんて、正直言って最初はかなり意外だった。

彼女はアイルランドという国が、とても好きだと言っていた。日本も好きだけど、わたしはアイルランドにずっと住みたい、と。

この前故郷について書いたけど、この歳になって、と言ってもせいぜい三十ではあるけれど、それでも大人になってから、自分の故郷を見つけられるなんて、なんてすばらしいことだろう。

思えば、先にあげたような彼女の印象は、彼女自身がいつもどこにいても、居心地が悪そうに見えたことに理由があるような気がする。と、偉そうに言ってしまうと当人に否定されてしまうかもしれないし、勝手な憶測の域を出ることはない話ではあるんだけれど、それでも少なくとも、四半世紀生まれ育った場所よりも、居心地が良いと思える場所を見つけた彼女にとって、この国はベストではなかったのだと言えるんじゃないか。

もちろん、アイルランドが彼女にとってベストかどうかは知らない。でもベターであったことは間違いない。彼女は相変わらず遠慮深かったけれど、それでも「今が一番楽しい」と言って笑う顔は以前よりもずっと解放的な感じがした。

新宿の喫茶店で、二時間以上たっぷり喋った。

煙草やめたんだねと言われた。髪が伸びたねと言った。お互いに好きなことをして、好きなように生きていることを報告しあった。大人って楽しいね、本当だよね最高だよねと言い合った。

わたしたちは好きな場所に住んで、好きな人と会い、好きなものを食べることができる。もちろん無制限ではない。でも子どもの頃のそれに比べたら、大人になった今、ずっと自由に自分にとってのベターを、自分の意思で選択できるようになったと思う。

歳をとることは恐ろしいことではない。ましてや悲しむことでもない。歳をとるほど、本当はどんどん自由になっていけるはずだ。加齢に伴うフィジカルな問題を抱えることはあるかもしれないけれど、精神は歳を重ねる毎、その経験値と知識によって、ずっと自由になっていくべきだ。

アイルランドに行ってから、彼女は十キロも太ったそうだ。でも元々痩せ型だったので、案外気にはならなかった。仮にもっと丸々太っていたとしても、目の前に座る彼女は昔より綺麗だと、わたしは感じていたんだろうなと思った。

 

f:id:kokoita:20170817104804j:plain