故郷/東京

あとちょっと頑張れば夏休みだと思いながら毎日を過ごしている。でもこういう風なモチベーションで働いていると、それが終わってしまったらその後は一体何を楽しみに毎日頑張ればいいのかなんてくだらない憂鬱の影がちらつくもので、それは何にでも終わりが来るのだという常識的な、というかひどく陳腐な絶望に端を発していて、その絶望はいつも何をしていてもぺったりとわたしの背中に貼りついているんだけれど、わたしはそれをできるだけ見ないようにすることでしか、やり過ごす術をまだ知らない。

お盆休みにどこかへ出かけることを、しばらくしていないような気がする。どこかといっても、それはその辺ではなくて、ちょっと遠めの場所のこと。でも別に旅行がしたいわけではない。どちらかと言えば遠出することが億劫な性質なので、家でのんびり過ごす方が性に合っている。ただこの時期になると、帰省する場所のある人がほんの少しうらやましいなといつも思う。たぶんわたしはどこかに行きたいというわけじゃなくて、変わらないどこか、帰れる或いは帰りたいと思えるどこかが欲しいのだ。

わたしには故郷がない。生まれも育ちも東京だから、東京が故郷じゃないかと言われればまあそうなんだけれども、そこには例えば郷愁みたいなものがない。趣がないとか、田舎風景と都会の街並みの違いとか、そういう話をしているのではない。ずっと東京に住んでいるからかも知れないけれど、懐かしい風景とか、慣れ親しんだ場所とか、そういう何かしら思い入れのあるモノが、特に思い浮かばない。いずれも都内で近距離だったけれど、わたしは生まれてから三回引っ越しをしている。そのどこの場所にも、愛着がない。東京のことは好きだけど、別にここじゃなくてもいいんだよなあと、最近よく考える。もしもここじゃない場所に行ったら、東京が懐かしくなったりするんだろうか、とも。

旧暦の八月を燕去月と呼ぶ。旧暦なのでまあ多少今の八月とは時期がずれているんだけど、春先にやってきた燕は、この頃子育てを終えて南の方へ帰っていく。お盆休みにずっと東京にいるのは、出不精な性格以外に理由がある。夏休みには、遠くにいる友人が東京に帰ってくる。数少ない友人の多くが、遠いところに住んでいるわたしは彼らをここで待っている。郷愁も愛着もないけれど、それでもここにいれば大好きな人たちに会える。いつかわたしの故郷になるかもしれない、まだただのプラットホームとしての街、東京。