ゴーヤーチャンプルー/花火

7月が終わる寸前の最後の土曜日に、今年はじめてのゴーヤーを食べた。豚肉と豆腐と卵でチャンプルーにした。先月漬け込んでおいたにんにく醤油で味付けをしたら、香りも良くて美味しくできた。今シーズン中にまたやりたい。

この時期の野菜が好きだ。ゴーヤー然り、茄子、トマト、大葉、枝豆、ミョウガ、シシトウ、きゅうり、ピーマン。夏の野菜は他の季節の野菜に比べて、青臭い野菜が多いと思う。わたしは青臭い野菜が好きだ。

青臭いという言葉には、においを意味する使用法のほかに、例えば「青臭い言動」のような使い方、「未熟な」という風な意味合いの使用法があるけれど、これは青という色が、完熟でないものを指している印象からきているんだろう。青二才、とか言うもんね。トマトなんかがそうだけど、青いモノには熟していないイメージがある。と言ってもこのときの青っていうのは正確に言えば緑色のことで、よく外国の映画で未熟な相手に対して「You are still green.」とか言ったりするけど、このgreen(緑)はまさしくわたしたちが青と呼ぶ色のことだろう。そして「未熟」という言い方をしてしまったけれど、それは「若さ」とも言いかえることができる。

未熟なもの、即ち若さのあるものには、そうでないものにはないエネルギーがある。何ていうか、生命力みたいなもの。夏野菜を美味しいと思うとき、その青臭さを好きだなと思うとき、わたしはその生命力みたいなものに舌鼓を打っているのだと思う。

 

その日はゴーヤーチャンプルーを食べた後、河原へ行って花火をした。手持ちの花火をするのなんて久しぶりだった。火花の弾ける音が耳に心地良かった。雨があがったばかりで、風が強くて、ちょっと蒸し暑かった。夏の夜は明るい。同じように暗くても、冬よりずっと明るいような気がする。夏の夜には、昼間の熱や光が、闇の中に溶けて混じっている。

火を見て、それも勢いよく噴き出す火花を見て、それを綺麗だと思うなんて、人間は動物としてはやっぱりどうかしていると思う。帰りにコンビニまで行って、アイスを買って、だらだら歩きながら食べた。西瓜を模した氷菓は種の部分がチョコレートでできている。赤と緑の着色料で塗り分けられた三角形、赤い果肉と緑の皮、もちろんどちらも氷でできている。そこには本物にあるはずの、生命力みたいなものはもちろんない。わざわざ氷に色と味を(そのうえ贋物の種まで)つけて食べるなんて、どうかしている。どうかしているし、これはこれで悪くない。