青嵐/筋トレ

梅雨だというのに東京の週間天気予報にはひとつの傘マークもない。ここ数日は夏日が続いていて、まだエアコンこそ入れていないけれど掛布をはぐくらいには夜中まで気温が高い。昨晩からは強風が吹き荒れ、今もまさに南風に吹かれて洗濯物のシャツやズボンがベランダでがちゃがちゃと踊り狂っている。

表はこんなにいい天気だというのに、わたしはどこへも行けない、行きたくない。行けない自分と同じくらい、行きたくないと思っている自分が情けない。自分がこんなに情けなくて、臆病な人間だと知らなかった。いやほんとうは知っていた。30年間ずっと見ないようにしてきた自分の臆病さに、わたしはいま復讐をされているのだ。

せめて身体だけでも健やかでありたいと、少し前から筋トレのようなことをはじめた。ランニングもしている。長く運動不足でいた体では3キロ走るのがまだやっとだけれども、ちょっとずつ距離を伸ばしてタイムを縮められたらいいと思っている。走るのなんて一体何年ぶりだろう。スポーツは好きじゃなかった。何をやってもモノにならなかった。体力は人並程度にあったと思う。でもほとんどのスポーツには体力だけじゃなくて、リズム感や反射神経や、協調性や空間把握力や、そういうセンスが必須だった。純粋に筋力をトレーニングするだけの行為には、そういうセンスが要らないところがいい。ランニングも競争じゃなくて、自分一人で完結するところがいい。身体を鍛えているときには、まるで精神も健やかであるように錯覚できる。