風待月/梅雨の花

気圧の変化に体調が左右される性質なので梅雨はあんまり得意じゃない。それなのに6月という月をそこまで嫌悪していないのは、今の時期に咲く花を好んでいるからなのだと思う。何よりその花々は道端で見かけることが容易いものが多くて、だからちょっと近所を歩くだけでいくつも好きな花を見られることがとてもうれしい。

梅雨の代表的な花と言えば紫陽花で、大胆で存在感がありながらどこか謙虚なたたずまいも持ち合わせた何にも似ていない愛すべき花が、その辺の道を歩いているだけでそこかしこにぽんぽん咲いているなんて、素敵なことだなと毎年思う。手毬のようなふっくらとした容貌の紫陽花もいいけれど、ガクアジサイも可憐でかわいらしい。色は青みがかったやつも赤みがかったやつもどっちも同じくらい好き。

路傍で見かける花と言えば立葵や夾竹桃が咲き始めるのも今の時期で、どちらも色合いの派手な花だから真夏のころ太陽の下でぎらぎら照り返すアスファルトと立ち昇る陽炎の中でまるで白昼夢のようなそれらを眺めるのも乙だけど、今のように雨に濡れてしっとりした色合いになっているのも風情があっていいなと思う。

個人的に縁があるなと勝手に思っているのはザクロの木で、わたしはなぜかどこで暮らしていても、しょっちゅう通る路上に植わったザクロの木にめぐりあう。それだけよく植えられている木というだけかも知れないけれど、勝手に運命を感じている木。花は鮮やかな朱色。果実の毒々しい赤に反して、ものすごく健やかで爽やかな色をしている。ザクロの花を見ると、これから夏がくるんだなと思えてうれしい。

ひとつ残念なのは、今年の梅雨はまだクチナシを見ていないこと。梅雨の花の中ではクチナシが一番好きだ。街路にも結構植わっている花だけど、今住んでいるあたりの徒歩圏内では見かけない。クチナシの花は地味な花だ。同じ季節に咲く花の中ではだんとつに地味な見た目のように思う。でもその見た目からは想像できないような、胸焼けするくらい甘い匂いを周囲に放つ。したたかな花だなぁと思うし、わたしはそのしたたかさにまんまと心を奪われる。雨に濡れるとその匂いはいっそう濃くなる。雨の日にその匂いを肺いっぱいに吸い込んで、途端に肺の中が湿って甘ったるくなるのを感じるのが大好き。ある種の薬物で得られる多幸感は、こんな気持ちなんじゃないかとすら思うくらいに。

6月にしておこうと思っていたこと(お風呂のカビ取り、植木の植え替え、梅酒づくりとニンニク醤油の仕込み)はすべて終えてしまったし、雨が続いて洗濯物が干せなくなることを思うと憂鬱で、そのうえまさに偏頭痛にも悩まされている最中で、さっさと梅雨が明けてくれればいい6月が通り過ぎてくれればいいと思うけれど、思うけれども心の片隅で、もう少しだけこの花々を愉しみたいという気持ちもあって、また今年もこの月に弄ばれているなあと思うのだった。