虫の声/季節

住んでいる部屋の裏がお寺なので、この時期になると夕方から夜更けまでたえず虫の声が聞こえてくる。テレビをつなげていないので、家では専らラジオを流しているんだけれど、夜、眠るためにラジオを消すと、その音が部屋の中までよく聞こえていることにふと気づく。安月給の単身者にはうってつけの賃料坪数の部屋だけど、この音を聞きながら眠りに落ちていけるのは、部屋を決めたときには思いもよらなかった贅沢だ。

仕事へ行って帰って飯を食べ、眠って起きての毎日に、つい見落としてしまいそうになるけれど、できるだけ、季節の変化に敏感でいたいと思うようになった。季節の音やにおいや肌触り、そういうことを感じられるのは、それだけでもう何にも代えがたい贅沢であるのだと、思うようになったのだ。

四季なんて、無くたってほんとうは構わない。春が来ずとも咲く花はあるし、秋でなくても鳴く虫はいる。それでも季節が移ろうことへの愉しみと、巡り巡って必ずまたやってくるのだという何の根拠もない信頼の上に、生かされているんだと思うことが最近多くなった。当たり前のように次の季節を迎えられることが、当たり前ではないのだと知った。当然見られると思っていた次の季節を、突然見ることができなくなった人を目の当たりにしたせいかもしれない。

でもそんなことがあってもまだ、わたしはいまだに次の季節が自分にくることを当たり前に信じている。人はきっと、明日死ぬかもしれないと思って生きていくことなんてできない。明日も明後日も生きていくつもりで、いつか死ぬことしかできない。それが幸せなことなのか不幸なことなのか、わたしにはまだわからない。