枝垂桜/春うらら

この前の日曜日に浅草伝法院の庭を散策してきた。浅草へはしょっちゅう行っていたけれど伝法院の中に入ったのははじめて。庭と同時に寺宝も公開されていて、どちらもゴールデンウィークまでの期間限定らしい。もったいない。

 

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枝垂桜が満開。樹齢はどのくらいなんだろう。真下に立つとまるで薄紅色の滝壺に落ちてしまったかのような錯覚に陥る。東山魁夷の作品で、この写真とすこし似たアングルの絵があるのを思い出す。でもあの絵は夜の絵だから、桜の木の上に月が浮かんでいるのだ。残念ながら白昼の散策だったので、というかそもそも夜間は公開していないだろうから、月とのコラボレーションを見ることはかなわないけれど、色づいた花弁は青い空にもよく映える。実を言えば昔から、桜の花があまり得意ではない。嫌いなわけではない。美しいと思う。でもその美しさの迫り方が圧倒的すぎるというか、勢いがありすぎるのだ。一斉に開花しているソメイヨシノなんかは特にそうで、見ているとその暴力的な美しさに少なからず疲弊してしまう。花見というとついついそういう群生させられたソメイヨシノばかりが注目されて、他の品種はその陰に押しやられがちなイメージがあるけれど、やっぱりこれも「桜」なんだと思わせられた。ひとところに栽植されたソメイヨシノが奮うそれとはまた違う威圧感。一種の神々しさとでもいうような。花を見つめていたら、その美しさをあらわすのに「燦燦」という言葉が浮かんだ。本来は陽光などに使われる修飾語だから、用途も意味も違えているのかもしれないけれど、それがそのときこの桜を見て感じたことにいちばん近い言葉だった。

 

 

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庭園にあった桜は二本で、それぞれが離れた場所に植えられていて、でも園内のどこにいても、薄紅色の飛沫が目に入るようになっていた。整備されたばかりの庭。池には鯉がたくさん泳いでいた。亀もいるらしいけれど、姿は見えなかった。まだ冬眠中なのかな。ごちゃごちゃとした浅草の一画にあるとは思えない、長閑な景観。雲ひとつない、いい陽気の日。春うらら。

この時期は空気が霞んですべてに靄がかかったようで、まるでずっと夢の中を歩いているような気分になる。