スカイツリー/ただそこにあるもの

最近、晴れた日は自転車で通勤している。片道10キロ強の道のり、小さいのも合わせると川を三本超えて行く。方向的にスカイツリーに向かって走っていくことになるんだけれど、近づくごとどんどん大きくなるそれは何度見ても圧巻だ。都心部とちがってわたしが住んでいるところからスカイツリーのお膝元まではいわゆる下町と呼ばれるところだから、他に高い建物がほとんどないというのもあるんだろうけど、あの高さと風貌は、良く言えば存在感があり、悪く言えば浮いている。毎日通っていてもついつい見てしまう。帰りはまた逆側からスカイツリーに向かって走って行く。帰りの頃のスカイツリーはライトアップされている。色は基本的に青と紫の交互らしいけど、最近はスペシャバージョンで赤や緑になっている。

さっき調べてみたら、スカイツリーができたのは2012年だった。まだ5年しか経っていないのかとも、もう5年経ったのかとも思う。最初に見たときは、パワーパフガールズの街(タウンズヴィル)にありそうなタワーだなと思った。それもどちらかといえば敵キャラが住んでいそうな。そもそも、わたしは東京タワーがとてもとても好きなので、それとちがっていかにもシュッとした、冷ややかなあのデザインにあまり好感を持っていなかった。慣れたのか、今はそうでもないけれど。

でも例えばもしあれが生まれたときから建っていたら、と考えることがある。そしたらあれのある景色が、わたしの原風景になったりしたんだろうか。窓の外にいつも必ず見える大きな塔。住む人や店や建物が変わっても、ずっとそこにそびえ立っているもの。ただそこにあるだけなのに、誰かの記憶の中で欠かせない景色の一部になっていくこと。

スカイツリーができた年、はじめて入った会社を辞めた。それから大学院に行って、出て、今はまた働いているけれど、ここもそろそろ潮時かなと思っている。一か所に留まることがたぶん苦手なわたしは、ただずっとそこにあるものに、誰かにとってそのような存在になれるものに、ほとんど羨望みたいな憧れがある。